アトムメディカルの歴史

年代 会社の歩み 製品開発の歴史
1930-
1938 アトムメディカルの前身《千代田商会》創業
創業者の松原与四郎が、旧満州国奉天市(現 中国・瀋陽市)に医科器械業・合資会社千代田商会を創業。
1940-
1945 第二次世界大戦の敗戦により《千代田商会》閉鎖
1948 東京にて事業を再開し《千代田医理科器械株式会社》設立
日本に引き揚げた松原与四郎は東京で事業を再開し、千代田医理科器械株式会社を設立。「ATOM」「アトム」を製品ブランドとして、現在へ続く企業活動をスタートしました。
1950-
1950 現本社の地(東京都文京区本郷三丁目)に移転
社屋を拡張し工場として整備。この時期に、自社開発の製品を自社工場で製造するという基礎が固められました。
1952 N-52アトム保育器

国産初の近代的保育器

第二次世界大戦後の日本では、栄養状態や衛生環境の悪化により低出生体重児や虚弱児の出生率が増大し、1951年の新生児死亡率が出生1000人に対して27.5人という、世界保健機関(WHO)加盟国中でも高い数値となりました。そこでWHOより「新生児死亡率の低減対策」が提起され、それに応えることが日本の急務となりました。

こうした時代の要請を受け、「N-52アトム保育器」が開発されました。これが記念すべき国産初の近代的保育器となり、以後保育器の有力メーカーとしてこの分野で常にリードしています。

アトムG型便器洗滌及消毒器

ベッドパンウォッシャーの先駆け

G型便器洗滌及消毒器の開発により、看護病棟用機器のメーカーとしても第一歩を踏み出しました。

1954 アトム栄養カテーテル

国産初の栄養補給用チューブ

母親のお乳を吸ったり哺乳瓶でミルクを飲むことが難しい赤ちゃんに、鼻孔から挿入して哺乳するこのカテーテルは、広く産婦人科医に親しまれました。
1955 V-55アトム保育器

強制換気方式により、保育環境が一段と向上

1960-
1961 葛飾区に大型器械の製造工場
検診台や分娩台などの大型器械の開発を開始し、総合的な産婦人科機器メーカーとしての基礎を築きました。
1964 《アトム医理科器械株式会社》に社名変更
千代田医理科器械株式会社から、製品ブランドとして親しまれていた「アトム」を社名に加えて、アトム医理科器械株式会社に社名を変更しました。

浦和工場竣工

埼玉県浦和市(現 さいたま市)に生産拠点として、新工場を建設しました。
1960 アトム清拭車
1961 アトム酸素テントOX-61

アトム翼付チューブ針(アトム針)

アトム針の名で親しまれた国産初の翼状針

当時このタイプの翼状針はメーカー問わずアトム針と呼ばれるほど、絶大な信頼を獲得しており、1972年には、医療用具として日本で初めてγ線滅菌法を導入し認可されました。
1962 分娩監視装置TOKOMONITOR
陣痛の外測法に用いる電気方式陣痛記録器と記録式胎児心拍計数器との組み合わせによる分娩監視装置を販売しました。
1964 アトム5型分娩台
1966 アトムY-66検診台
1970-
1970 《アトム株式会社》に社名変更
浦和工場増築(第1次)
1974 米国コロメトリックス・メディカルシステムズ社と代理店契約を締結し、胎児監視装置の販売を開始
コロメトリックス製品サプライヤーとして、日本の胎児監視装置普及に大きく貢献しました。
1975 本社ビル竣工
1978 春日部工場竣工
最先端の設備を備えた医用ディスポーザブル製品の専用工場を新設し、生産体制と品質管理の強化を図りました。

国際周産期医学シンポジウム開催

医療の発展に寄与するため、日本に国内外の著名な産婦人科医・新生児科医を多数お招きし、講演会や交歓会を行い、最新の医療情報を交換するとともに国際交流を図りました。
1970 アトム自動輸液ポンプ
1972 アトムY-66HL検診台
1975 V-75アトム保育器

電子比例制御方式を採用した国産初の保育器

設定温度に合わせて連続的にヒーター出力を調整する電子比例制御方式を採用した画期的な保育器。従来のサーモスタットによるON-OFF方式に比べ、より高精度な温度制御が可能となりました。

また、1976年鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生し、その五つ子を収容したのもこの保育器です。最新鋭のV-75保育器を最短でお届けできるよう、当社の保育器を載せた車がパトカーに先導されて空港に向かう光景は社員の誇りでもありました。

アトムソニックライザ105

アトムDE-888型分娩台

1978 アトムネオナータルモニタV-800

アトムインファントウォーマV-3200

1979 アトム輸注ポンプ201

シリンジポンプ

0.1mL/hの微量を連続的にコントロールして投与できるように、パルスモーターを他社に先駆けて採用しました。

1980-
1980 浦和工場増築(第2次)
1981 高松宮・同妃両殿下浦和工場ご台覧
1984 浦和工場増築(第3次)
1989 アトムメディカルインターナショナル設立
より積極的な海外展開を目指して、貿易部門を独立分社化しました。
1980 V-80アトム保育器
1984 アトムET-8300検診台
1985 V-850アトム保育器

ダブルウォールフードとエアカーテン機能を装備

輻射熱損失を抑えて児の至適環境を維持するダブルウォールフードと、処置窓開放時に児の器内温低下を抑えるエアカーテン機能を装備しました。
1988 フィータルデータマネジメントシステムAFD-1000
1990-
1991 浦和工場に部品センター・商品管理センター完成
1996 《アトムメディカル株式会社》に社名変更

ロゴマークをリニューアル

アトムメディカル株式会社のシンボルマークは、アトムイニシャルのAをふたつの赤い楕円形によってシンボライズしたもので、赤い楕円形は生命を表し、ふたつの楕円形の重なりによって、生命の出会いと融合による愛、そして力強く上昇し発展する形をイメージしています。

1998 ISO9001・EN46001認証取得
1990 アトム胎児集中監視システムAFD-16
陣痛室や分娩室に設置された分娩監視装置の情報を集約し監視できるシステムを、オリジナルシステムとして初めて開発しました。
1996 V-2100アトム保育器

アトムシリンジポンプ1235N

アトム輸液ポンプP-600

1998 V-2100Gアトム保育器

高度化する医療現場のニーズに対応

温度・湿度・酸素濃度の自動制御機能に加え、体重モニタ機能や内蔵のパルスオキシメータによるバイタルサインのモニタリング機能も搭載しました。

アトムインファウォーマV-505

2000-
2001 ISO13485認証取得
2002 MEDICA 2002(ドイツ)へ初出展
2004 フィリピン・セブ島に工場開設
グローバル化に対応する生産拠点として、春日部工場で生産していた医用ディスポーザブル製品の製造をすべて移管しました。ATOMED CEBUでは、厳しい品質管理の下、成形から包装、検査、滅菌まで一環した生産を行い、世界へ向けて製品を供給しています。

Arab Health(UAE)に初出展

2005 欧州における営業拠点として、オランダにEUオフィス開設
2007 フィリップスエレクトロニクスと分娩監視装置の独占販売契約を締結
2008 EUオフィスをイタリア・ミラノへ移転
2002 アトム分娩台LDR-7000
2003 アトムシリンジポンプS-1235
2004 アトム保育器V-2200

アトム検診台ET-2000

2009 分娩台マミージョイLDR
2010-
2012 物流拠点ロジスティックセンター(川越)開設
2015 北米における営業拠点として、アトムメディカルUSA設立
2019 和光総合サービスセンター開設

川越ロジスティックセンターの機能を統合

アトムメディカルインターナショナル吸収 合併

2022 株式会社アトムメディカル ヒューケア設立
呼吸療法製品の事業を分社化しました。
2023 新本社ビル竣工
アトムメディカル新社屋は、『妊婦さんのおなかの中』をコンセプトにしています。
2010 iシリーズ保育器発売

保育器とウォーマの機能を融合

より快適な日常看護をサポートするため、保育器としてのクオリティとインファントウォーマとしての処置性能が融合したデュアルタイプの保育器が誕生しました。

2019年、長野県立こども病院で誕生した258gの男の子もこの保育器に収容され、病院とご家族の手厚いケアによって、ぐんぐんと成長し3300g以上となり無事退院しました。元気に退院した男児の出生時体重としては「世界最小」でした。

2012 検診台メグジョイ EX
2013 FSV セントラルモニタ
2016 インキュアーチ(搬送用保育器)

アトム輸液ポンプAS-800

2017 検診台メグジョイ ナチュラル
2018 心拍数モニタ アイリスモニタ
2020 アトム子宮止血バルーン
2023 デュアルインキュ i α・インキュ i α

アトム セントラルシステム CS3

2024 アトム分娩台AD1
年代 会社の歩み
1930-
1938 アトムメディカルの前身《千代田商会》創業
創業者の松原与四郎が、旧満州国奉天市(現 中国・瀋陽市)に医科器械業・合資会社千代田商会を創業。
1940-
1945 第二次世界大戦の敗戦により《千代田商会》閉鎖
1948 東京にて事業を再開し《千代田医理科器械株式会社》設立
日本に引き揚げた松原与四郎は東京で事業を再開し、千代田医理科器械株式会社を設立。「ATOM」「アトム」を製品ブランドとして、現在へ続く企業活動をスタートしました。
1950-
1950 現本社の地(東京都文京区本郷三丁目)に移転
社屋を拡張し工場として整備。この時期に、自社開発の製品を自社工場で製造するという基礎が固められました。
1960-
1961 葛飾区に大型器械の製造工場
検診台や分娩台などの大型器械の開発を開始し、総合的な産婦人科機器メーカーとしての基礎を築きました。
1964 《アトム医理科器械株式会社》に社名変更
千代田医理科器械株式会社から、製品ブランドとして親しまれていた「アトム」を社名に加えて、アトム医理科器械株式会社に社名を変更しました。

浦和工場竣工

埼玉県浦和市(現 さいたま市)に生産拠点として、新工場を建設しました。
1970-
1970 《アトム株式会社》に社名変更
浦和工場増築(第1次)
1974 米国コロメトリックス・メディカルシステムズ社と代理店契約を締結し、胎児監視装置の販売を開始
コロメトリックス製品サプライヤーとして、日本の胎児監視装置普及に大きく貢献しました。
1975 本社ビル竣工
1978 春日部工場竣工
最先端の設備を備えた医用ディスポーザブル製品の専用工場を新設し、生産体制と品質管理の強化を図りました。

国際周産期医学シンポジウム開催

医療の発展に寄与するため、国内外の産婦人科・新生児科の著名な先生方を日本に多数お招きし、ご講演いただくとともに交歓会を行い、最新の医療情報を交換するとともに国際交流を図りました。
1980-
1980 浦和工場増築(第2次)
1981 高松宮・同妃両殿下浦和工場ご台覧
1984 浦和工場増築(第3次)
1989 アトムメディカルインターナショナル設立
より積極的な海外展開を目指して、貿易部門を独立分社化しました。
1990-
1991 浦和工場に部品センター・商品管理センター完成
1996 《アトムメディカル株式会社》に社名変更

ロゴマークをリニューアル

アトムメディカル株式会社のシンボルマークは、アトムイニシャルのAをふたつの赤い楕円形によってシンボライズしたもので、赤い楕円形は生命を表し、ふたつの楕円形の重なりによって、生命の出会いと融合による愛、そして力強く上昇し発展する形をイメージしています。

1998 ISO9001・EN46001認証取得
2000-
2001 ISO13485認証取得
2002 MEDICA 2002(ドイツ)へ初出展
2004 フィリピン・セブ島に工場開設
グローバル化に対応する生産拠点として、春日部工場で生産していた医用ディスポーザブル製品の製造をすべて移管しました。ATOMED CEBUでは、厳しい品質管理の下、成形から包装、検査、滅菌まで一環した生産を行い、世界へ向けて製品を供給しています。

Arab Health(UAE)に初出展

2005 欧州における営業拠点として、オランダにEUオフィス開設
2007 フィリップスエレクトロニクスと分娩監視装置の独占販売契約を締結
2008 EUオフィスをイタリア・ミラノへ移転
2010-
2012 物流拠点ロジスティックセンター(川越)開設
2015 北米における営業拠点として、アトムメディカルUSA設立
2019 和光総合サービスセンター開設

川越ロジスティックセンターの機能を統合

アトムメディカルインターナショナル吸収 合併

2022 株式会社アトムメディカル ヒューケア設立
呼吸療法製品の事業を分社化しました。
2023 新本社ビル竣工
アトムメディカル新社屋は、『妊婦さんのおなかの中』をコンセプトにしています。
年代 製品開発の歴史
1950-
1952 N-52アトム保育器

国産初の近代的保育器

第二次世界大戦後の日本では、栄養状態や衛生環境の悪化により低出生体重児や虚弱児の出生率が増大し、1951年の新生児死亡率が出生1000人に対して27.5人という、世界保健機関(WHO)加盟国中でも高い数値となりました。そこでWHOより「新生児死亡率の低減対策」が提起され、それに応えることが日本の急務となりました。

こうした時代の要請を受け、「N-52アトム保育器」が開発されました。これが記念すべき国産初の近代的保育器となり、以後保育器の有力メーカーとしてこの分野で常にリードしています。

アトムG型便器洗滌及消毒器

ベッドパンウォッシャーの先駆け

G型便器洗滌及消毒器の開発により、看護病棟用機器のメーカーとしても第一歩を踏み出しました。

1954 アトム栄養カテーテル

国産初の栄養補給用チューブ

母親のお乳を吸ったり哺乳瓶でミルクを飲むことが難しい赤ちゃんに、鼻孔から挿入して哺乳するこのカテーテルは、広く産婦人科医に親しまれました。
1955 V-55アトム保育器

強制換気方式により、保育環境が一段と向上

1960-
1960 アトム清拭車
1961 アトム酸素テントOX-61

アトム翼付チューブ針(アトム針)

アトム針の名で親しまれた国産初の翼状針

当時このタイプの翼状針はメーカー問わずアトム針と呼ばれるほど、絶大な信頼を獲得しており、1972年には、医療用具として日本で初めてγ線滅菌法を導入し認可されました。
1962 分娩監視装置TOKOMONITOR
陣痛の外測法に用いる電気方式陣痛記録器と記録式胎児心拍計数器との組み合わせによる分娩監視装置を販売しました。
1964 アトム5型分娩台
1966 アトムY-66検診台
1970-
1970 自動輸液ポンプ
1972 アトムY-66HL検診台
1975 V-75アトム保育器

電子比例制御方式を採用した国産初の保育器

設定温度に合わせて連続的にヒーター出力を調整する電子比例制御方式を採用した画期的な保育器。従来のサーモスタットによるON-OFF方式に比べ、より高精度な温度制御が可能となりました。

また、1976年鹿児島市立病院で日本初の五つ子が誕生し、その五つ子を収容したのもこの保育器です。最新鋭のV-75保育器を最短でお届けできるよう、当社の保育器を載せた車がパトカーに先導されて空港に向かう光景は社員の誇りでもありました。

アトムソニックライザ105

アトムDE-888型分娩台

1978 アトムネオナータルモニタV-800

アトムインファントウォーマV-3200

1979 アトム輸注ポンプ201

国産初のシリンジポンプ

0.1mL/hの微量を連続的にコントロールして投与できるように、パルスモーターを他社に先駆けて採用しました。

1980-
1980 V-80アトム保育器
1984 アトムET-8300検診台
1985 V-850アトム保育器

ダブルウォールフードとエアカーテン機能を装備

輻射熱損失を抑えて児の至適環境を維持するダブルウォールフードと、処置窓開放時に児の器内温低下を抑えるエアカーテン機能を装備しました。
1988 フィータルデータマネジメントシステムAFD-1000
1990-
1990 アトム胎児集中監視システムAFD-16
陣痛室や分娩室に設置された分娩監視装置の情報を集約し監視できるシステムを、オリジナルシステムとして初めて開発しました。
1996 V-2100アトム保育器

アトムシリンジポンプ1235N

アトム輸液ポンプP-600

1998 V-2100Gアトム保育器

高度化する医療現場のニーズに対応

温度・湿度・酸素濃度の自動制御機能に加え、体重モニタ機能や内蔵のパルスオキシメータによるバイタルサインのモニタリング機能も搭載しました。

アトムインファウォーマV-505

2000-
2002 アトム分娩台LDR-7000
2003 アトムシリンジポンプS-1235
2004 アトム保育器V-2200

アトム検診台ET-2000

2009 分娩台マミージョイLDR
2010-
2010 iシリーズ保育器発売

保育器とウォーマの機能を融合

より快適な日常看護をサポートするため、保育器としてのクオリティとインファントウォーマとしての処置性能が融合したデュアルタイプの保育器が誕生いたしました。

2019年、長野県立こども病院で誕生した258gの男の子もこの保育器に収容され、病院とご家族の手厚いケアによって、ぐんぐんと成長し3300g以上となり無事退院しました。元気に退院した男児の出生時体重としては「世界最小」でした。

2012 検診台メグジョイ EX
2013 FSV セントラルモニタ
2016 インキュアーチ(搬送用保育器)

アトム輸液ポンプAS-800

2017 検診台メグジョイ ナチュラル
2018 心拍数モニタ アイリスモニタ
2020 アトム子宮止血バルーン
2023 デュアルインキュ i α・インキュ i α

アトム セントラルシステム CS3

2024 アトム分娩台AD1