皆さんは、「保育器」をご存知ですか? 通常、妊娠してから満期で出産するまでには、40週(約10ヵ月)かかります。しかし、早産(37週未満)で生まれた場合、身体の発達が充分ではないため、外の世界にすぐに適応できません。そうした赤ちゃんを収容し、母親の子宮の代わりとなるのが保育器です。保育器の透明なフードの中は、温度・湿度・酸素濃度が赤ちゃんにとって最適にコントロールされ、母親の胎内と同じような環境になっています。 アトムメディカルは、国産初の近代的保育器を開発した日本のトップメーカーとして、かけがえのない小さな生命(いのち)を救うために、数々の保育器を開発してきました。
第二次世界大戦後の日本では、栄養状態・衛生環境などの悪化により、未熟児や虚弱児の出生率が増大。1951(昭和26)年には、新生児の死亡率が出生1000に対して死亡27.5という、WHO(世界保健機関)加盟国中でも高い数値に達していました。そこでWHOにより「新生児死亡率の低減対策」が提起され、それに応えることが日本の急務となったのです。こうした時代の要請を受け、1952(昭和27)年に当社が開発したのが、「N-52アトム保育器」という国産初の近代的保育器でした。そして1955(昭和30)年には、さらに進んだ強制換気方式の「V-55アトム保育器」を開発。これらがきっかけとなり、昭和30年代以降、日本では保育器が普及し、保育環境は大きく改善されました。現在、日本は新生児死亡率において世界で最も低い国になっています。「新しい生命の誕生をささえ、医療の進歩に貢献する」という、医療機器メーカーとしての熱い使命感が、当社を保育器の開発に駆り立てたのでした。
1976(昭和51)年1月。日本全国を驚かせたのが、鹿児島市立病院での「日本初の五つ子ちゃん誕生」というニュースでした。多くの人の温かい祝福で迎えられた五つ子ちゃんでしたが、いずれも低体重で生まれたことが心配されました。病院では専門のプロジェクトチームを結成するなど特別の医療体制で臨み、赤ちゃんたちは保育器の中で順調に育っていきました。この時、赤ちゃんが収容されたのが当社の保育器でした。かけがえのない小さな生命のために、アトムメディカルは保育器を空輸するなど全社を挙げて対応。全国の人々が見守った感動のドラマの裏側で、アトム保育器の活躍がありました。
保育器の開発からスタートしたアトムメディカルは、産婦人科、新生児・未熟児医療分野をメインとして優れた製品を生み出し、新しい生命の誕生をサポートしてきました。しかし、当社が手がける分野はそれだけではありません。「生命へのやさしさ」という創立以来のテーマのもと、看護病棟用機器、医用ディスポーザブル製品などへ開発エリアを拡げ、さらには、高齢化社会に対応する医療機器や、グローバルな製品開発にも積極的に取り組み、医療トータル専門メーカーとして確かな発展を続けています。